加藤秀俊 著作データベース

ものとの交流史45<サングラス>

発行年月: 19860501
掲載  : TWO WAY
発行元 : 商品科学研究所


 半年ほどまえから、すこし眼に異常を感じるようになった。とにかく、やたらと眼が疲れるのである。老眼がすすんだらしいので、メガネ屋さんで検眼をしてもらい、レンズをかえてもらったが、それでも疲れる。
 とくに、これはたいへんだ、と思うようになったのは、夜、自動車を運転していて、先行車のテール・ランプが二重に歪んでみえることに気がついたときである。気は若くても、人間、歳をとるとなにが起きるかわからない。わたしは、さっそく病院で検査をうけた。眼底血圧やらなにやら、くわしくしらべてもらったけれども、異常はなにもない。結局のところ、本を読んだり、ものを書いたり、という職業のおかげで、眼精疲労がかなり進行したのでしょう、というのが専門医の診断であった。
 処方されたのは二種類の点眼薬と内服用のビタミン剤。こうして治療をはじめてからこれでふた月になる。おかげさまで、疲れはかなりとれてきたような気がする。しかし、それでもまだおかしい。いったいなぜか、を反省してみて、ハタと思いついた。天気のいい日に外出したりすると、わたしはかなりまぶしい。しぜんと眼を細めたり、手で太陽光線をさえぎったりする。眼精疲労の原因のひとつは、おそらく、日中の太陽のまぶしさのせいだろう、とわたしは自己診断を下した。
 まぶしさをさえぎるためにはどうしたらよろしいのか。答えは簡単で、要するに紫外線をカットするサングラスを使えばよい。わたしは、ハワイで暮らした経験もあり、スキーの経験もある。あれだけ太陽光の反射がはげしいと、肉眼ではどうにもやり切れず、その場その場の必要から、サングラスを二つ三つは持っている。だから、わたしは、さっそくヒキ出しのなかをひっくりかえして、むかし使ったサングラスをいくつかさがし出した。
 これらのサングラス、いつ買ったのかおぼえはさだかでないが、さいきんには、昨年八月に高知に行ったときにバーゲンでひとつ買った記憶がある。とにかく、高知空港に着いたとたん、ギラギラした太陽が滑走路に反射し、これはたいへん、というのでとりあえず買ったものだ。他のサングラスも、それを買ったのは、これに似た衝動的必要によるものであって、いずれも安物。しかし、じゅうぶん役に立つ。
 そんなしだいで、わたしは晴れた日にはサングラスをかけ、また自動車のなかにも常備することにした。その結果はなかなかのもので、疲れはかなりやわらいだ。こんなに簡単な解決方法に、どうしてもっと以前に気がつかなかったのか、とも思った。だが、じつをいうと、それには理由がある。
 まず第一に、サングラスなるものをかけると人相が悪くなる。上品な人がじょうずに使っているのをみるとなかなかスマートだけれども、わたしなどがかけると、あまり見栄えがよろしくない。だいたい、暴力団のおニイさんたちは、じぶんの人相をかくすために濃いサングラスをかけていらっしゃるし、防犯ポスターなどにえがかれる犯罪者もサングラスをかけている。その方面のことにはいっさいうといけれども、かつてわたしは新幹線のなかで十数人の暴力団らしきグループといっしょになり、いささか不気味な気持になったが、かれらはひとり残らず黒のスーツにサングラス、といういでたち。だから、すくなくとも、わたしにとって、男のサングラス姿というのはあまりいいイメージのものではない。
 第二に、わたしのように、老眼鏡を用いている人間にとっては、サングラスはまことに厄介だ。たとえば飛行機に乗っていて、雑誌などをひろげ、読んでいるときには老眼鏡。そして、ふと窓外に輝く青空や雲海に目を移すときには、老眼鏡をはずしてサングラスにかけなおさなければならぬ。二種類のメガネをとり替えるというのは、きわめてめんどうな作業をともなう。ふたつのメガネ・ケースから出したり入れたり、このめんどうくささは、こういう経験をした人間でなければわかるまい。これが、わたしのサングラスを敬遠するもうひとつの理由なのである。
 しかし、ここしばらく、サングラスのおかげで眼のぐあいはかなりよくなった。とすれば、これからのわたしの人生にとって、サングラスは必要不可欠のものになることであろう。いまここにあげたような理由によって、わたしはじつのところ、このサングラスというものをあまり好まない。好まないけれどもしかたがない。できるだけ人相を悪くしないようなデザインのサングラスをさがすことも心がけたいけれども、それよりもさらにだいじなのは、実物の人相をよくするようにつとめることであろう。あれやこれやのストレスで、わたしの人相や表情はけっしてよろしくない。どんなことがあっても、暴力団にまちがわれたくはない、とわたしはねがっている。


加藤秀俊著作データベース
文書管理番号: 3122