加藤秀俊 著作データベース
遊び疲れ
発行年月: 19571220
掲載 : 大阪新聞
発行元 : 大阪新聞社
遊び疲れ （「大阪新聞」１９５６・１２・２０）
このごろはひとに会うたびに「お忙しいでしょう」とアイサツされる。日本社会では「多忙」であることが重要人物であるシルシとされているから、このアイサツはきっと敬意をふくんだ言いまわしなんだろう。
だが、こういうアイサツをされると返答に窮するのである。大へん恥ずかしい思いをするのである。きっと本当の重要人物なら、こんなときは「はア、どうも忙しくて困ります」くらいのことを言って、カラカラと打ち笑うのだろうが、私は口先にも自分から「忙しい」などといえないのである。
年の暮になって柄にもなく反省してみると、もし私に多忙があるとしたら、アソビ生活に多忙であったことくらいだと思う。早川ミステリィの探偵小説はこの一年間に三、四十冊読破したし、映画もずい分見た。ミュージカルは欠かさず大阪まで見に行った。四月以降は連夜ポカンと口をあけてテレビのまえにすわっていた。多忙もないものではないか。
「中間文化」「マス・コミュニケイション」と二冊の本を書いたが、一方は論集、一方は講義用ノートの水増しみたいなもので、投入したエネルギー量はたかが知れている。「中間文化」のほうは、ちょっとばかりジャーナリズムに取上げられ、これによって、私は多少「有名」になったらしい。会う人ごとに「三万も出ましたか？」などといわれるが、とんでもない。
このようなことすべて、つまりアソビに多忙であったこと、本が売れず、したがって巨万の富を手に入れそこなったこと、などこれすべて多忙のもとであった。来年あたりはせいぜい仕事を多忙にして「お忙しいでしょう」「やア、どうも」とニッコリできる人物になるのがいいのかもしれないが、それが果たして幸福を約束するものかどうか私は疑問に思う。ポツネンとエラリー・クイーンの探偵小説を読んでいるほうが私の性に合っているようなのである。
加藤秀俊著作データベース
文書管理番号: 2458