加藤秀俊 著作データベース

付加価値という言葉に騙されるな

発行年月: 200101
掲載  : 産経新聞
発行元 : 産経新聞社



付加価値か付加迷惑か

  十徳ナイフ思想批判                 加藤秀俊

 ながいあいだつかっていたファックスの調子がわるくなったので、新品を買うことにした。ところが、ほうぼうの電気店に足をはこんでみて、びっくりした。それというのも単純な「ファックス機」というものがひとつもないからである。ファックスは電話回線を使用するが、むかしはファックス端末は独立していた。しかし、いま売られている商品は例外なしにファックスと電話機が一体になっている。単体としてのファックスという商品は絶無なのである。
 まあ、そのへんはいいとして、たいていのファックスは子電話つきである。それも二台つき。よほどの大邸宅ならともかく、ふつうの住宅にこんなにたくさんの電話はいらない。いや大邸宅なら、さいしょから全室に電話を配線してあるだろうから、なおさらナンセンスである。
 だが、こんなことでおどろいてはいけない。いま販売されているファックスにはおおむね液晶表示があって、そこで電子メールのやりとりができるようになっている。一見、便利なようだが、電子メールはコンピューターでやったほうがずっと能率がいい。電話のダイアルで文書をつくるなどというのはめんどうなはなしだ。電話は電話、コンピューターはコンピューターでそれぞれ独立して機能させたほうがいい。
 それにくわえて、ハンドスキャナーなどというものもくっついている。コピー機の機能もついている。いったいぜんたい、ふつうの家庭でスキャナーなどというものがどれだけ必要なのだろう。コピーがしたければ近所のコンビニにゆけばよい。もしもコピー量がおおいのなら、家庭用のコピー機を買えばよい。ものごとすべて、とりわけ機械類は単能であるのがいい。
 むかし十徳ナイフ、いまスイス・アーミー・ナイフと呼ばれているナイフなどを思いだしてみたらいい。あれは「ナイフ」とはいいながら、いろんな刃物を内蔵している。ハサミもあるしキリもある。栓ぬきも、カン切りもついている。アーミー・ナイフなのだから、戦場では便利だろう。いちいち、用途のちがう道具をもってあるくより、ひとつでいろんな役割をはたしてくれるもののほうがいい。しかし、戦場やキャンプで便利なものがふつうの生活でも便利か、といえばそうではない。あんな中途半端な栓ぬきのできそこないよりも単能的でしっかりした栓ぬきのほうがよいのである。およそ、あれもできる、これもできるという十徳ナイフはつかいにくい。
 ところが、その十徳ナイフの思想が現代のさまざまな商品に濃厚である。ここにあげたファックスなどはその一例で、たいていの電化製品は多機能だ。それは便利なようでかえって不便なことがおおい。ときには混乱してしまう。
 じじつ、このあたらしいファックス端末には当惑した。とにかく、これはその場ですぐにつかえないのである。日付、時刻をあわせなどの初期設定をすませても、まだまだいろんな手順をふまなければこの機械は作動しない。たかがファックス機械一台なのに単行本一冊に相当する厚いマニュアルがついている。どこかでひとつまちがうとピーチク・ピーチクと警報が鳴る。むかしの機械は実直で、紙をいれてボタンを押せば、それで送信できた。それにたいしていまの機械は、紙をいれろ、とかカバーをたしかめろ、とかやたらにやかましい。そのたんびにマニュアルと首っ引きだ。不便をこして不愉快である。
 このような多機能をメーカーは「付加価値」とよぶ。たしかに単純なファックス端末を単体で売るよりは、いろんな機能をくっつけるほうが高く売れるのかもしれぬ。いや、おおいにありうることだ。しかし、われわれ消費者のがわからいえば、これは「付加迷惑」以外のなにものでありはしない。先方の「価値」は当方には迷惑なのである。
 このあたりの事情がわかっていないから、世の中めんどうになってきた。わたしの好みからいえばむかしのような単純な商品のほうがいい。炊飯器は炊飯器に徹して、セイロの真似などしなくてよい。自動車は走ればいいので、車内にステレオやカラオケ設備なんかいらない。冷蔵庫のドアの閉め忘れを合成音声で教えてもらうほど、人間バカではない。酉の市の熊手じゃあるまいし、飾り物がおおければいいというわけでもなかろう。多機能、付加価値ということばにダマされてはいけない。
               (国際交流基金日本語国際センター所長)


加藤秀俊著作データベース
文書管理番号: 2264